時給を上げたいと思いませんか?
割のいい仕事がしたいと思いませんか?
やれます。
実際に私が時給を上げた方法を紹介します。
実録1:大学時代
私は大学2部を卒業しました。いわゆる夜間部ですね。
「大学には行かせられない」と三者面談で母親に言われたんだけど、担任が大学と会社を紹介してくれて、初期費用を一切掛けずに進学しました。
会社から前借りをして大学入学
紹介してくれた大学も会社も関西。
まずは会社の試験を受けるのだけど、地元の九州から関西に行く費用も出せない状態でした。
会社の人事がはるばる長崎まで試験と面接をしに来てくれて、入社が決まった後は、大学入試を受けるための入試費用と渡航費を出してもらい、宿泊は会社の寮、大学合格後は入学金と1回生の前期分の学費を払ってもらいました。
借りたんです。いきなりの前借りです。
18歳にして借金をしたんです。
前借りした数十万円を給料から分割で返済しながら、後期分の学費を貯めていました。
会社の寮費から食費、学校までの定期券代、駐輪場代金、教科書代、授業前に食べる夕飯代を支払いながら。
おまけに教習所にも通い出して貧乏すぎたけど楽しかったです。
・・・親に学費出してもらって大学通っている昼間の学生にビニール傘を取られた時はムカつきましたが。
学費免除で年間25万円の得
2回生の冬、学費免除制度があることを知りました。
同じ寮に住む先輩が教えてくれたんです。
私と同じように、昼間は会社で働いて夜大学にいく生活をしていたのが10人くらいいました。
みんな会社と大学をセットで紹介してもらって入社&入学した苦学生。
(その会社はそういうシステムがあったんですよね。今もあるのかな。日清紡ありがとー。)
大学から帰ってくるのは22時前。
寮は0時に消灯で、その後の暗闇でも先輩と笑いながら話してたのを思い出します。
めちゃ貧乏だったけどめちゃくちゃ楽しかったんです。
そんな中先輩が仕入れてきた学費免除制度の話。
条件は大きく分けて2つ。
1,家が貧乏であること
2.成績が普通であること
こんなハードル低い制度で、私は見事全額免除を獲得しました。
年間約25万円×3年分を得しました。
実録2:ワーホリ時代
留学に行きたいと思っていたけどそんな資金はなく。
大学時代に100万円を貯めて4回生を終えてすぐにオーストラリアへワーホリに行きました。
働きながら大学に通っていたけど、授業料が免除になったことと、単位を3年で取り終えたので4年目は大学に行かず仕事後にバイトに行って貯めました。
ジャパレスの時給と現地カフェの時給の違いを知る
ワーホリで渡豪する日本人はジャパレスと呼ばれる日本食レストランで働いている人が多かったのだけど、私も例外なく、日本人が経営する日本人のためのカラオケ屋でほぼ日本語で働き出しました。
時給8〜9ドルで働いていた私ですが、現地人経営のスーパーやマックでの時給は15〜20ドルだと後から知りました。
休日は時給3倍、年末年始なんて5倍にもなるって聞いたんですよ。
私のようにワーホリではなく、現地の大学に留学していた日本人学生はそういうところでバイトしていたんです。
でね、
「そうだ。私は留学したかったんだ」って思い出したんです。
留学したかったけど資金がなくてワーホリにしたんだったって。
現地カフェで採用される
私も現地で働いて時給をあげることにしました。
英語力はなかったけどガッツはあったんですよね。
元々貧乏だし、もう失うものはないんで。
カフェなら行けるって思ったんです。話すレパートリーそんなに多くないと思ったから。
毎週水曜と土曜日に現地の新聞に出る求人欄を見て、cafeの募集を上から全部電話しました。
簡単です。
電話するだけなんで。
英語で履歴書書けって言われたら書けないんだけど、テンプレート作って電話するだけです。
そうしてたら採用されたんです。
もちろんその前にたくさん断られましたよ。
それでも電話し続けたら採用してくれるカフェがありました。
諦めないって大事です。
電話するだけで時給あがりました!!
英語話せなかったけど、イタリア人が経営するイタリアンカフェとフランス人が経営するフレンチカフェで働かせてもらえていて、イタリアンカフェでは半分イタリア語で話しかけられてました(笑)
当時は、ハムの種類とコーヒーの種類と厨房内の指示はイタリア語で聞き取れるくらいになりました(笑)
実録3:派遣社員時代
帰国して、やりたいこともなかったので派遣社員として一般事務員してました。(だいーぶ端折ってるけど)
面接の時に「タイピングがとても速いけど学校で習ってたの?」って聞かれて、「友達とチャットしてたら速くなりました」って答えるくらいのポンコツっぷりでしたが採用されました。
時給1200円の一般事務
時給1200円の事務員生活スタート。
パソコンで資料作ったり、会議でお茶配ったり、全てが初めてのことで楽しかったです。
電車に乗って取引先に見積書を持って行ったり、近くのスーパーにみんなで食べるお菓子買いに行ったり、事務所で飲むお茶作ったり、一般事務の仕事って雑用ばかりですが、「普通のOL」みたいな生活を満喫しました。
契約終了の申し出と時給アップと異動
ただ・・・・・・・・・・暇だったんです。
慣れてくると仕事量が圧倒的に少ないことに気づき始めました。
さすがに寝るわけにもいかないし、パソコンに向かって何かしなくてはいけないですよね。
仕方ないから当時流行ってた『デイトレ』をしてました。
会社のパソコンで株です(笑)
毎日5千円とか1万円とか買った負けたとパソコンに釘付けだったんです。
結局50万儲かって、その50万円でニューヨークへ行って、残りの50万を一瞬でなくして終わりました。
暇つぶしできなくなったので、「暇だから辞めたい」と申し出ました。
そしたらね、なんと、時給上げてくれたんです!
そして、もう少し忙しい部署に異動にしてくれました。
そこが設計部で、CADをタダで習えてラッキーではあったんですが、やっぱり仕事に慣れてくると暇で(;・∀・)
元にいた部署の事務作業もおっちゃんに頼まれてしていました。(お礼にお菓子めちゃくれてたので)
時給は上がっても暇なのは変わらないので、当時インドネシアと香港で働いてた高校時代の友人と毎日チャットして、インドネシア語と中国語勉強をするというふざけた派遣社員をしていました。
契約終了の申し出と時給アップ
・・・が、やっぱり暇だし、時給を上げてもらっても1人暮らしはやっぱり大変だから辞めたいと再度の申し出。
人事課長と設計課長と話し合いをしまして、、
「時給はこれ以上上げられないけれど残業手当をつける」ということになり、暇であることは解消されなかったけどまたしばらくその会社で派遣社員をしました。
まとめ
結局、この後に辞めたんですけどね(笑)
こうやって文章にしてみると、当時の私はふざけた若者だったんですよね。
特にすごい資格があるわけでもないし経験もないし特別仕事ができるわけでもないしただのわがままヤローだったんですが、自分の思いに素直に向き合っていたのかもしれません。
やってみたら、言ってみたら時給が上がった実話。
こうなりたいけど、こうしたいけど
無理だろうな。。。
って諦めていることがあったら、「諦めている」ことを決めたのはあなた自身です。
やってみたらいいのに。